36 名前:
名無しさん@HOME[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 23:12:13.46 0
義両親と夫と息子で暮らしていたアパートが、跡形も無くなった。
下手に半壊とかじゃない無い分、諦めも切り替えも早くて
義父の実家(他県)に身を寄せた。
義父の勤めていた会社も、夫の勤めていた会社も営業再開の目途が立たなくて
しばらくは商売をやっている義父の実家で働くことになり、生活には困らなかった
義父の実家は義父の両親が二人暮らしで、庭にある別棟を一件丸々貸してくれた。
それだけでも恵まれていたと思うし、家族全員無事だったのは奇跡だと思った。
数日前、大きな荷物が届いた。
義母が「あなたのよ。開けてみなさい」と笑って言って、開けてみたら8段飾りのお雛様だった。
「あなたのお祖母様が、買って下さった物には負けるけど」って、お座敷に飾ってくれた。
私のお雛様は、母方の祖母が私が産まれた時に買ってくれた、やっぱり8段飾りの物だった。
大きな物だし、結婚した時に実家に置いてこようと思ったんだけど
義両親が「うちは息子しかいなかったから、新居で飾ってくれたら嬉しい。お祖母様の思いのこもった物だから」
って、勧めてくれた。祖母は結婚の2カ月前に他界していたから、それもあったと思う。
毎年義母と二人で、楽しく飾っていたが、津波で流されてしまっていた。
今年は雛人形がないんだな、とチラリと思った事はあるが
祖母には悪いが、正直それどころではなくて、あまり気にしていなかった。
でも夫と義両親が話し合って、出来るだけ似た物を探して贈ってくれた。
37 名前:
36[sage] 投稿日:2012/02/19(日) 23:27:05.31 0
津波が来た時、私と息子と義母は自宅アパートにいた。
3階建てにアパートで、自室は3階だったので
産まれて間もない息子を連れて、避難するか自宅に留まるか迷った
新しい堤防を信じてもいた。
でも義母が「上着だけ持って!私が貴方と孫を守るから出来るだけ高台に逃げよう!」と決意。
幸い非常持ち出し袋は、玄関に常備していたので、地震発生から5分経たずに逃げられた。
夜に避難所で義父と夫と再会したときは、声を殺して喜び合った。
周囲には家族の安否が不明な人や、家族が亡くなった人もいたから、あからさまに喜べなかった。
前もって落ち合う避難場所を決めていた事や、持ち出し袋を準備していた事で本当に助かった。
特に新生児の息子のオムツやミルクや、飲料水は無かったらどうなっていたか分からない。
全て義両親のおかげだ。
逃げるとき、私の手を引いて走りながら「あなたと孫だけは生きなさい」と繰り返した義母。
住んでいたアパートは一階部分の骨組みを残して、壁も何も無くなっていた。
あのまま留まっていたら、確実に死んでいた。
大震災にまつわる家庭のこと